今年4月、親戚を巻き込んで、念願の井内村へ行ってきました!
母の姉、父の兄、そして父方の従兄(といっても父と変わらない年齢)と・・。
井内村は細道、山道なので、高齢者には運転は困難とも言える場所なので、ここは従兄頼りです。温泉宿を経営していた縁もある鷹ノ子で宿を取り、そこからいざ井内村へ〜。
従兄さん、山道なのに運転早すぎて、うまく写真が撮れません・・。
でも思っていた以上の段々畑でびっくりしました。
どうやら結構有名らしいです。
まずは北間の奥にある善城寺へ。
事前に下見に来てくれたそうで、スムーズにいくことができました。
桜の季節は少しすぎてしまいましたが、わずかながらまだ咲いていました。
階段を上がると、可愛らしいお地蔵さんが迎えてくれます。
『川内町誌第二部三内』P483〜より抜粋。
大字井内仲屋
寺号 石林山滝本坊善城寺
宗派 往昔高野山金剛三昧院末であったが、明治時代より大和国長谷寺末、新義新言宗豊山派
本尊 延命地蔵尊
由緒 本寺は往古火災に罹り記録等一切炎上するに至る。他の旧記によると、相当古き歴史を有し、往昔当村には善城寺、大通寺、有積寺の三ケ寺が有ったが天正十八年の革命によって廃合して現在の善城寺を残すとある。
伊像旧記編、和銅六年の酉の口、国司散位太夫正五位小千宿弥玉興玉純父子神殿を建営別当寺善城寺、大通寺、香積寺欽行之
伊豫漫遊記抄 浮穴郡拝志郷井内名、元弘の頃河野備前守通郷の軍功により領する所なり(中略)代々の菩提寺、大通寺あり。
戒能略譜 戒能通森の父、安国寺華光和尚に参得して、既に居士号を賜はり、掛落を許さる。是に依て、井内の山下に禅庵を作り、華光和尚を請待して隠寓の地となし、善城寺と扁せり。その後大熊の城頽廃してより、善城寺の住持も変革し今既に宗系も相違し来る。本寺は往古より桜をもって名あり、春は桜花爛漫としてその名隠なし。現住松本義法。
毅の日記には「井内村で養蚕をしていたのは我が家と善城寺のみだった」とありました。
下調べて本殿に菊の御紋があったのも気になって見に行きましたが、
後で聞いた話、天皇とは関係ないそうです・・。
ざっと見ましたが、火災があったせいか、関係ありそうなものは見つけられませんでした。