京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

自分のルーツを辿る20 愛媛旅行17 井内村 北間

さて、少し戻って北間(きたはざ)へ。

この道の先が善城寺になります。

お花の右側にお墓がありました。

ちょうどぼたん茶屋の奥様がお手入れをされていて、尋ねるとそちらのお家のでした。

でも事前に地図を見て、生家の場所の見当をつけていて、だいたいこの辺りかな?とみていました。

車を置けるスペースもあったので、置かせてもらって、ちょっとウロウロ。

これが北間へ上がってきたところの、道路の左側です。(善城寺から見たら右側)

くねくね曲がりすぎて方角わかりません・・。

あとで航空地図で確認!

ぼたん茶屋の北側のグレーのところが砂地で、車を止めていたところになるので、

そこから東北方向ですね。家の屋根も同じです。

蕎麦畑とあるところがお花があるところですね。

 

<剛の日記より抜粋>

北間は井内のほぼ中央にあり、井内川に臨む南向きの斜面を占めている。

私の生家はその斜面の更に中程にあった。

家の敷地300坪ほどと、その前方に広がるやはり300坪ほどの田圃が同じ平面にあるだけで、その前後左右は狭い棚田の重なったかなり急な斜面になっていた。

生家の前の同じ平面には、五枚合わせて300坪ほどの田圃があるが、その向こうは狭い棚田が重なって、井内川の渓谷へ下だっており、渓川を隔てたその真正面は一面 に竹の生い茂った急斜面の丘で、頂上には古い城址(小手滝城)があった。

屋敷の西側は1.5メートルほどの高さの石垣の下に狭い棚田が三枚重なった下の手に地蔵堂があり、その下方は急斜面の畑になっているのだが、家からは見えず、はるか彼方の下の方、黒岩部落の裾に村社吉井神社の森が見えた。

北側は屋敷のすぐ裏手が草と潅木の生えた急な斜面となり、小さな渓川の向こうはまた棚田の重なった斜面で人家がいくつか見える。その斜面の向こうには東方から山の尾根が延びていて、楢や檪、松などが生え、杉林になっている所もある。その尾根の上、はるか彼方に大熊山(標高905メートル)という大きな草山がそびえている。

屋敷の東側は、1.5メートルほどの高さの石垣が次第に低くなりながら南側の中程まで続いていて、その上には東南角を中心に杉の大木が10本ほど立ち並び、残りの東側には樫、山椿、茶の木などが次第に低い木になりながら北の方へ続いていた。それに沿って1m幅ほどの 道があり、道の東側はまた1mほどの高さの平地になっている。

私の生家そのものだが、その敷地は前にも述べたように約300坪(約990平方メートル)で、東側はほぼ一直線だが、西側はかなり凸凹のある長方形であった。東南角を中心に東側の四分の三ほどと、南側の三分の二ほどは、敷地の平面より高い石垣になっており、西側は南 から北へかけて四分の三ほどが、屋敷の敷地を区切る石垣になり、その残り四分の一と北側とは草や木の生えた斜面になっていた。建物は母屋と付属の建物四棟から成っていた。

生家の母屋は萱葺きの入母屋造りで、建坪は32坪。母屋の北側には5mほど離れて、母屋よりも一回り小さい、やはり萱葺きの建物があった。

母屋と納屋の中間の西端、納屋寄りのところに井戸小屋があった。納屋の北側のやぎね(軒下)には、稲架用の長い丸太棒がうずたかく積まれていたが、そのやぎねの端の敷石から二メートルほどの間隔を 置いて菜園と果樹園があった。 その2m幅の通路には、東の端がゆるい坂道となって、東側の石垣上の生垣に沿う道へ登っていた。つまり、風呂場と便所の建物の北側 近くに、北間川の方へ行く道への出口があったわけである。

納屋の北側に沿う通路は、出口のところから西へ20mほど、次第に低くなる石垣になり、その石垣が消えて平地と同じ高さになったあたり、牛部屋の真裏のあたりに、4坪ほどの古い墓地があって、周囲に3、4本の 樒の木があった。 わが家の墓地は北間川を越えて北へ200mほど行ったところにあったのだから、こ れはわが家の先祖の墓ではなかった。十数基あった 墓碑はいずれも小さくて古く、欫けたり摩滅したりしていて戒名も読みにくかった。信士と信女、それに童女というのもあったと思う。いわゆる無縁墓であった。

 

これでもかなり抜粋・・。

詳細なので場所も特定できそうなのですが、さっぱりわかりません。

でもこの蕎麦畑より東側であっていたようですね。

砂地のところから北側に橋、川もありました。

これが北間川ですね。

毅の日記に書いてあった内容から予測した場所では、先祖の墓はこの川を渡って左手のはず・・。

でも上がり方がわからない・・。

囲いがしてあるし、よそ様の土地にズカズカ入れませんしね。

ってことはやはりあっているはず・・。

と思うんだけど、おじさんおばさん、先にぼたん茶屋へ行っちゃう・・

おいおーい、待って。。(泣)

とそこへ、近くのぼたん茶屋のご主人永井さんが来られました。

先ほどお会いした奥様が、旦那さんが八木家のことをよく知っているとのことで、呼んできてくださいました。

この倉庫は新しく建てられたものですが、この辺りに八木家の納屋があったらしい。

逆側から見るとこんな感じ。


そしてこの前にあるお墓が八木家の先祖のものだと聞いているとのことでした。
うーん・・。

一応写真は撮りましたが、毅の日記でもこの墓は無縁墓で、先祖代々のものは別のところにあり、ついでに守りはしていたとありました。

そして納屋ではなく、牛小屋があった場所ですね。

 

一応略メモ:天命7未年、文化13年、文政●年正月27日?、寛政7年7月?、とか信女とか見えます。でもほとんど読めません。

 

(後日談)永井さんに日記の一部を送ったところ、やはり最初に思っていたところにお墓があるとのことでした。また次に行った時にご案内していただくことに。こうしてご縁が繋がってありがたいことです。

 

そして、せっかくですので、ぼたん茶屋にお邪魔することにしました。

宿泊室にもなっていて、ピザが焼けたり、どぶろくで賞も取られていたりされています。

素敵なところですね〜。

変わった家紋ですね。

 

こちらはまだ桜が咲いていました。

もちろんぼたんもたっくさん。

白い藤までありました。

お花が好きなおじさん、おばさん、すっかりたくさんのお花に夢中・・。

こらこら、今日の目的はそれじゃないから、少しでも時間が・・と私は気が焦ります。

おばさん、愛媛なんだし、ここまでは来れるんだから、また改めて来てね^^;

 

お茶と甘酒をいただきました。

この甘酒がホント美味しいんです!

お土産に買って帰りました。冷凍ですが、ホテルに着いた時には溶けちゃいましたが・・。

家で冷やして飲みました。ノンアルコールなのがいいですね。

 

この山が、かつて小手滝城があったところ。30分くらいで上がれるそうなので、次来た時には上がって見たいですね。

宿泊施設も見せていただきました。

次回はここに泊まろうと思います!

そして、曽祖父のことを知っている方がまだご存命だそうで、お話が聞けるのも今のうちなので、年内には行きたいですね。

 

奇しくもこの日は祖父毅の誕生日でした!

後で聞いた話・・びっくり。

母の弟や父が来た時は誰とも会わずに帰ったそうなので、

これもきっと祖父が繋いでくれた縁なのでしょうね。