会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
地図を眺めていたら・・こんなのがあるーと行ってみました。
平成21年12月にできた新しい石碑でした。
案内板によると、
「伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しました。本堂は徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられ、大正4(1915)年に刊行された『京都府紀伊郡誌』に寺域は徳川家康の寄進によるもので蓮池を埋めたことから蓮池御坊とも呼ばれていたと記されています。ここを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、本願寺から東本願寺を分派独立することに成功しました。
幕末の慶應4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊訳200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿陣としました。翌3日、薩摩藩との間で小競り合いをしている最中の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃したことから、伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物は大きな損害を受けたと伝えられています。そのため、創建当初、建物は東向きに作られましたが、明治18(1885)年に南向きに縮小して建て替えられました。平成2(1990)年に建物は老朽化のために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が残されています。」
ただ、ここ児童福祉施設になっていて、覗くのもなぁ・・怪しすぎると思って、スルーしてしまいました。どこかにあったのかなぁ。
伏見の街並はほんと好き。落ち着きます。
8年ぶりの十石船。
前のはこちら。詳細はこちらに記載しているので、省略します。
約50分ほどの舟旅もなかなかよいものです。
穏やかなので酔うこともないですし、ゆったりとした時間が過ごせいます。