伏見は、京都と大阪の間にあったことから、豊臣秀吉が伏見城を築き発展しました。
秀吉の没後、天下を掌握した徳川家康が、商業港湾都市としての整備を行い、
淀川三十石船をはじめ、大小の船が行き交う港町として繁栄しました。
幕府が認めた舟は、なんと742隻もあったとか。
十石舟は米や酒、三十石舟は人を運んだそうです。
伏見は「伏水」と記されたほど、豊かな伏流水に恵まれた土地で、伝統の酒造りもこの頃から本格的になりました。今もなお、まちには酒蔵が立ち並びます。
HP:http://www.kyoto-fushimi.com/guide/meisyo/jyukkoku.html
一度は乗ってみたくて、行ってきました。
桜の季節は並ぶみたいですが、スルーで乗れました。
乗ったのは、「秀吉」
うーん、名前がよいです!
ゆったりと花が咲く川辺をすすんでいくのは、とても気持ちがいいです。
三十石舟乗り場の前を通ると、おっちゃんが手を振ってくれました!
岡崎にはなかった、船頭歌が流れるのもいいっ!
そして、寺田屋事件などの幕末の説明もあり・・思わず聞き入ってしまいました。
この時期は、菜の花がとてもきれいです。
途中、三栖閘門(みすこうもん)というところで、降ろされます。
ここも見学コースになっています。
宇治川との舟運連絡を図るために設けられたもので、2つのゲートで閘室内の水位を調節し、水位の違う濠川と宇治川を連続させて、船を通す施設です。
三十石舟の模型と三十石舟唄。
伏見から大阪へ向かう三十石舟から眺める両岸の風景を七・七・七・五調の音数で唄いあげています。明治中期にはいったん途絶えましたが、舟唄を歌い継いでいた市川九平次氏を中心に「淀川三十石舟唄大塚保存会」が結成され、今も舟唄の保存と普及に努めています。2002年には大阪府無形民俗文化財の指定を受けました。
右が巻上機。閘門のゲートを上下に動かす装置です。
VTRと模型を見て、そのしくみに納得。
いやぁ、よくできたもんです。
ちなみに、伏見港と、川に港とつけられているのは、 日本でここだけだとか。
関門にて。ちょうど関門を通る舟がありました。
三十石舟
三十石舟
三十石舟は、江戸時代、伏見・大坂間を上下し主として乗客専用の船で、
現在では、復元された木造船・三十石舟が定期運行しているそうです。
期間が短く、しかも土日のみの運行なので、今度はこちらに乗ってみたいですね。