京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

出雲大神宮、出雲庵

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今年二度目の出雲大神宮

桜の時期にも来てみたいなと思って行ってみました。

 

神社に関してはこちらをどうぞ。

kyotomichi.hatenablog.com

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ハートはちょっと寂しい・・

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過去二度、ここにテントがありオガタマの木がさっぱりわからなかったのですが、ようやく見ることができました。

初代は樹齢1500年と推定されているんですって。

2010年まであったそうですが、この木はその子孫で、二代目になります。

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時雨れていたので、写真はイマイチですが、桜はきれいでした。

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古墳の道は封鎖されていて行けなくなっていました・・。

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磐座はやはり横からの形の方が好きだなぁ・・

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もちろん今回も磐座群まであがりました。

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行きは人が多くて撮れなかったので帰りに撮影。

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こちらも前回撮り損ねていたので。

ハート型w

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神池

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前は行けなかった出雲庵にも行ってきました。

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雰囲気もとってもいいです。

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入ってすぐのところでは、明日の分のそばを挽いていました。

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山菜とろろそばを注文。

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実は食べログの評価はイマイチなのもあったので、

どうなのかなーと思うところはあったのですが・・。

とってもおいしかった!

 

実は・・そばは苦手な萩野(笑)

食べなくはないんだけど・・食べている途中で飽きちゃったり、美味しいと思えなかったりで、あまり進んで食べることはありません。

そんな萩野が、長野に行ったときはひたすらそば尽くし。

そして過去一番おいしいと思えたそばは、長野・松本の「弁天本店」。これに近い感じで、美味しくて、蕎麦湯まで美味しくいただきました。

 

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ちなみにおすすめメニューは、冷はこの山菜とろろそばで、温はいのししそばなんだそう。いのししはお客さんが自ら狩猟で持ってこられるもので、よそより断然安く手に入るのだとか。

次はチャレンジしてみたいなぁ。

 

食べログには値段が高い、量が少ないとかありますが、これだったらそんなもんだと思いました。

 

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火鉢も面白い形ですね。

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テーブルにあった花もあまりみたことがないものでした。

お店を出たら雨もあがり、バスの時間までのよい雨宿りにもなりました。

東寺 桜ライトアップ

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東寺の桜のライトアップに行ってきました。

東門からずらりと並んでいますが、意外と早く入れます。

 

雨が続いてようやく晴れた日の夜だったので、

ぬかるんでいるかと思ったらそうでもなかったです。

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しだれ桜もちょうど見頃でした。

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護王神社(ごおうじんじゃ)

 

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 何度となく前を通っているのに・・そういえば入ったことがあったようななかったような。

そう思って行ってみました。

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桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都づくりを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社。もとは神護寺境内にあったが明治19年(1886)この地に移された。

広虫が慈悲深く京中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ育児の神として信仰される。拝殿の前に狛犬の代わりに猪像があるが、これは清麻呂を猪が守護したという故事にちなむ。11月1日に亥子祭がある。」

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狛犬のいのしし。

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手水もいのしし。

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拝殿前もいのしし・・すごいな。

御本殿は改装中で、左手に仮殿がありました。

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こちらはだいぶ葉桜になっていました。

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たくさんのいのししが飾られていました。

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伊勢神宮遥拝所

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祖霊社(近衛社 きんえいしゃ)

護王神社歴代宮司神職、役員総代をはじめ、弘文院、護王亥子関係者、崇敬者等、護王神社の発展降昌のためにご尽力された個人の身分霊を、特にご親族の希望により合祀奉り、永代に亘り慰霊祭の祭祀を執行するための御社殿。

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末社

左、警察消防招魂社

右、久邇宮家御霊殿(くにのみやけごれいでん)

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和気清麻呂公像

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針の碑

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吉井勇の歌碑

風なきに 榠櫨(くわりん)の實(み)また ほろと落つ

 かくて極まる 庭のしづけさ

 

境内にカリンの御神木がそびえるので、そのゆかりで歌碑を作られたようです。

 

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さざれ石

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和気清麻呂公像

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このオブジェは北側にありました。

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 昔のお札にもここの絵が描かれていたりしたんですね。

神社の周りの壁にずらりと紹介されていました。

 小さい神社かと思ったら、意外と大きかったのでびっくりでした。

 やっぱり入ったことがなかった気がしました。

 

長徳寺 石碑「会津藩洋学所跡地」、「茶家山田宗徧出生之寺」

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ふらふらと歩いていたら・・長徳寺というお寺が見えてきました。

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門前には、会津藩洋学所跡地の石碑がありました。

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 「元治元年(1864)蛤御門の変が起こったこの年、会津藩山本覚馬同志社創立者新島襄夫人 八重の実兄)は、長徳寺内に洋学所を開設し、京都に洋学の新風を起こす。明治12年(1879)覚馬は初代京都府議会議長に就任し、京都の発展に貢献した」とありました。

 

左側の石碑は、

茶家山田宗徧出生之寺 とありました。

 

福長神社(ふくながじんじゃ)

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普段通らない道をふらふら適当に曲がって歩くのが好きで、

今日もなんとなく歩いていたら、こんな神社がありました。

烏丸今出川を南へ一筋、武者小路通りを西へ一筋、

室町通を南に行ったすぐのところにありました。

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「本社は福井神、綱長井神(つながいのかみ)、稲荷神を祭神として祀る。社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから、福長稲荷とも呼ばれた。

福井神と綱長井神は、平安京大内裏神祇官西院(現在の大宮竹屋町辺り)に祀られていた延喜式内社、宮中神の座摩坐祭神(いがずりのみかんなぎのまつるかみ)五座(生井神 いくいのかみ、福井神、綱長井神波比伎神 はひきのかみ、阿須波神 あすほのかみ)のうちの二座である。

現在の地に遷された経緯については、社伝によると天正年間、豊臣秀吉聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、天正二年(1574)に織田信長上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風狩野永徳筆)にはすでに現在地に福長神社が描かれている。

天明の大火(1788)で焼失した後は、小さな祠となったが、明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている」

 

ということで、結構由緒深い神社なんですね。

こんなに小さくなってしまって残念ですね。

 

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