いつも祇園祭でばてて8月はあまり出歩きませんが、
初めて壬生六斎念仏を見に行ってきました。
18時過ぎに到着。
歩いている途中で太鼓の軽快な音が聞こえてきて、
20時からなのに?と思っていたら、
子供たちが演奏していました。
そして獅子舞と蜘蛛が登場。かわいらしかったです。
(壬生六斎念仏の子供版でした)
迎え火(9,10日)
正面左手には水塔婆が祀られていました。
戒名を書いて、迎え鐘をついてご先祖の御霊をお迎えします。
万灯供養会(9~16日)
仁平3年(1153)の記録に
「七月壬生二万燈会ヲ修ス。美福門坦下ニ六万本ノ率堵婆供養云々」
とあり、かなり古くからおこなわれています。
御先祖追善を願った灯籠が千灯以上奉納されます。
千体仏塔
旧暦の7月24日に近い8月24日前後に、各町内で「地蔵盆」という行事が行われます。 子どもを守る仏、地蔵菩薩の縁日で、 明治中頃までは「地蔵祭」とか「地蔵会」と呼ばれていました。 「地蔵盆」が近づくと、町内の街角に祀られたお地蔵さんを祠から出して、 お化粧を施し、新しい前掛けを着せて飾りつけをし、 日頃の感謝を伝え、子供たちの無事の成長を祈ります。
ここには 約3000体の石仏をまつっており、出開張(でがいちょう)として、 お地蔵さんがない町内に貸し出しをしていることでも知られています。 そうして、僧侶による読経や法話、数珠回しから始まり、 お菓子の配布、手料理の振る舞い、ゲーム大会などが行われます。 少子化に伴い、簡略化されているところも増えているのが寂しい所ですが、 この時期になると町内のあちこちで地蔵盆をしているのが見られます。
さて、いよいよ壬生六斎念仏です。
六歳念仏は空也上人がわかりやすい念仏で広めようとして始めたもので、踊念仏ともいわれています。
毎月8、14、15、23、29、末日を六斎日といい、この日は特に厳しくお勤めをしないといけないそうです。
江戸時代に楽器を使って念仏以外の流行歌を演奏し始めたことから、六斎念仏踊りと呼ばれるようになりました。従来の六斎念仏とは別に、芸能として広がっていきました。
詳細はこちら。
演目は全部で11目で、20時から始まって、21時半までありましたが、
どれも楽しくてあっという間でした。
発願(ほつがん)
各地域の六歳念仏に共通するもので、導師が一説唱えたあと、全員で南無阿弥陀仏を唱和します。
てつ
鉄輪(かなわ)
離縁された女が、元夫と後妻を恨んで丑の刻参りをしているうちに、本物の鬼となり、二人の命を呪術で追い詰める・・という内容。
鉄輪の井と関係あるかと思ったらまさにその通りでしたね。
願人坊主(がんにんぼうず)
お坊さんの生き様を描いたもの。
四ツ太鼓(よつだいこ)
四つの太鼓を、数名で太鼓を叩いていくのですが、それぞれ個性があってたたき方が違っておもしろい。
四季(しき)
義太夫節「花競四季寿」より夏の曲「海女」が原曲ですが、内容は異なり、
浜辺にたたずむ若い海女さんが、つれない彼のことを想う恋歌だそう。
祇園囃子(ぎおんばやし)、棒振囃子
綾傘鉾の人たちがこの壬生六斎念仏をされているのもあってされました。
祇園祭で見れなかったからうれしかった。
越後獅子(えちごじし)
海士(あま)
大職冠藤原不比等の愛を受けて生んだわが子の出生をかけ、たった一人で明宝「面向不背の玉」の奪還に挑む海女の話だとか。
この二人が本当に楽しそうで、見ているこっちまで楽しくなりました。
太鼓獅子
獅子舞を呼び出す前の前奏曲。
獅子舞(ししまい)
獅子舞が、小さな碁盤の上に立って逆立ちするところとか、獅子舞が3頭出てくるのも見どころです。
子供にちょっかい出すところなんかも愛らしい。
また、最後に蜘蛛が巣を放つんですが、その先についている鉛を3つ財布に入れておくとお金が入ってくるとか。
それはぜひ頂かなくてはっ、といただいてきました。
そして最後は、結願(けつがん)
最後を締めくくる念仏です。
この日は涼しかったこともあり、とても過ごしやすく楽しい夜となりました。