京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

【総まとめ編】祇園祭 注連縄公開 inホテル日航ブリンセス京都 7月16日 

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さて、やってきたのは、東洞院高辻にあるホテル日航ブリンセス京都。
泊まるわけではありません。

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祭壇にあるのが、明日の巡行で使われる結界の注連縄。

これを長刀鉾のお稚児さんが「注連縄切り」を行って巡行がスタートします。

この注連縄を、当日までこのホテルが預かっているとのことで、その展示が16日の時間限定で、5階の宴会場サルビアで拝見させていただくことができます。

注連縄を張る竹を点てる斎竹(いみたけ)建てが、この日の早朝に高橋町主催で四条麩屋町で行われます。こちらのホテルも同じ高橋町になります。

もともとは町内で順番に預かっていて、その時は非公開だったそうです。

 

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「毎年7月10日四条通麩屋町角に高橋町が斎竹を建てる由来を案ずるに、人皇64代円融天皇の天延2年5月晦日高辻北東洞院西に住む泰助正の夢に、神人現はれ我は悪皇子である。汝の家を影向の地とせん。二十日後には祇園大神がその居宅に神幸せられるから速に朝廷に奉問せよとの信託あり。翌朝後園にある塚(大蜘蛛が人を殺して食った為覺園と云う山伏が打倒して埋めた塚と云ふ)から蜘蛛の糸が曳いて祇園社に至っているのを見て。禁延に奏上すると主上見給ふ神夢と符節を合ていたので、叡感あり東洞院方四町を御旅所の敷地として寄附せられ大政所と號し神殿を造らしめられて、以来祇園祭神幸式には三基の神輿が此の東洞院四条の辻に遷座され神供を受けられて、南北へ別れて巡行されることなり、吉符入りより此辻の四方に斎竹を建て、注連を引渡して汚穢不浄を禁じていた。同所には悪王子社があり、同社は天正年中秀吉が烏丸五条に移し、更に慶長元年四条京極に移傳され、又更に明治十年悪王子社のみは本社境内に移され御旅所のみ四条京極に残った。

以上の御旅所変遷より推して思ふに高橋町は御旅所を設けた地にあたり地元の奉仕として烏丸大政所町柳町と共に斎竹建てを仕へて居り、御旅所は変遷しても所役は引継いで現在に至り、僅かに高橋町のみが傳統を守って居るのである。昭和三十四年三月一日 八坂神社宮司 高原美忠書」

と記載がある。

 

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これは去年ので、竹にくくられてるやつですね。

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こちらで見ていますと、お神酒を振る舞っていただきました。

関係者だけと思ったのでびっくり。

いただいた後素焼きの器は返そうと思ったら、

このままお持ち帰りくださいと言われ、さらにお供え物のおすそ分け?記念品?(阿闍梨餅でした)もいただきました! てっきり塩だと思っていたので、こちらもびっくりでした。素焼きの器、八坂神社の神文入りですし、うれしいです。
お話も聞けてよかったです。

 

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