京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

大宮姫命稲荷大神(おおみやひめのみこといなりおおかみ)、二条公園 鵺大明神、鵺池石碑

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平安京オーバレイマップ も合わせてどうぞ。

二条駅から千本通りを北へまっすぐ、

平安時代平安京大内裏朱雀門があった場所をくぐる。

ちょうどこのスギ薬局のあたりである。

ここからは昔なら一般庶民は入れない場所。

そう思うと、なんだか感慨深いものがあります。

 

続いて、朝堂院の応天門をくぐる。

朝堂院を8分の5の大きさで復元したものが平安神宮です。

そして太子道の一本北側を東に行くと、二条公園があります。

その手前に、大宮姫稲荷大神というのがあったので、ちょっと寄ってみました。

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まっすぐ道路を引くはずだったけど、神社があったので避けた・・という感じでしょうか。

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木があるから倒れないように支えているのか・・

それとも怨霊だから封じ込めているのか・・

どちらにしても、こんな奇妙な祀られ方をされているのにびっくりしました。

この上から釣り下がっているものも、鈴の代わりにしてもおかしいし、なんだろう??

たまたま地図をいろいろ見ていたら・・

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え、ちょっとまって、監獄って書いてある!

その左の空白が、ちょうど京都聚楽郵便局あたりです。

参考「京都市名所図」 時代不明

二条離宮となっていることから、安土桃山時代以降なんでしょうけどね。

ほかの地図でも、監獄署となっていて、神社も含まれているから、中にあったのかもしれません。

日向伝吉 編『稲荷詮索誌』によると、

「大宮比売命は、古事記にも名はあるけど、御功磧はとくになく、皇室八神殿にも合祀されているのをみると、大功労はあったと考えます。天照皇大神が天岩戸にこもった時に、宇受売命(うずめのみこと/面勝姫 おもかつひめ)が、舞を申し出たことや、瓊瓊杵尊が君臨の途に猿田彦の神を見出してきたという功があります。天宇受売命(あまのうずめのみこと)の別名とされています」

 

それなのに、なぜこんな仕打ち??

なんだかかわいそうな感じがしました・・。

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ちなみにもう一つの鳥居。

 

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続いて、ずっと行こうと思っていた二条公園へ。

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もともとこの場所は、平安京大内裏太政官宮内省、園韓(そのから)神社(園神と韓神を祀る)があった場所です。

土器や遺跡なんかも見つかっているそうです。

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ぐるっと北へあがっていくと、ありました鵺大明神。

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そして右側には鵺池。

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・・まったく読めません。

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この地には、鵺池伝説が伝わっています。

「この石碑には鵺池碑と書かれており、北側には鵺大明神の祠と新しく復元された碑が立っています。

平安時代、二条公園を含む付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、現在の国会議事堂にあたる大極殿を正殿とする朝堂院、今の内閣に相当する太政官など国家政治の中心となる官庁街でした。

平家物語』巻によると、院政期とも呼ばれる平安時代後期、深夜天皇の住まいである内裏に怪しい鳥の鳴き声がし、近衛天皇が非常におびえられた。そこで弓の名手である源頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尻尾は蛇という姿の鵺であったといい、その時に血の付いた鏃(やじり)を洗ったのがこの池だと伝えられています。」

 

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こちらには、鵺大明神、玉姫大明神、朝日大明神が祀られています。

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漢文で読めませんが・・何となく意味は分かります。

頼政の遠裔が、頼政のこの鵺退治のことを知って石碑を建てたようです。

最後に、元禄庚辰三月望日 松崎正祐記 とあります。

元禄庚辰は、元禄13年(1700)。

頼政平等院で自害したのが1180年だから、実に520年後!

 

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裏は、鵺伝説と石碑が読めなくなったので、獄舎を撤去した後、昭和9年二条公園を新設し、有志でこれを後まで伝えようと思う・・というようなことが書かれています。

日付は昭和11年3月望日 になっています。

 

こちらも合わせてどうぞ。

 

kyotomichi.hatenablog.com