京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

3/27 随心院 はねず踊り その2

10時に席確保し・・待つこと1時間^^;

寒かったけど、時々日が射して、春日和な感じだったのがよかったです。

 

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ミス小野小町登場。かわいいですね。

まずは東関東大震災の方に黙とうをささげました。

そして門川市長のご挨拶。

めずらしく着物ではなくて、スーツだったので、わからなかったよ^^;

今回の地震に対して、京都でどういうことをしているのか、

直接お話を聞けたのがよかったです。

山科でも250世帯を受け入れしていて、その後挨拶などもしていて、

着物はふさわしくないんじゃないかということでスーツなのだそう。

はねず踊りの最中で、気がつけばいなくなっていたので、お忙しくされているのでしょうね。

 

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「はねず踊りと今様」を奉納します。

 

<以下パンフより抜粋>

はねず踊りは、昔深草の少将が、小野小町を慕うあまり百夜通いの悲願をこめて通いつづけたにもかかわらず、

九十九日目の大雪の夜についに代人を仕立てたのが運のつきで少将には小町の姿を求めることはできなくなった。

その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子たちと楽しい日々を過ごしたという。

また少将が通い続けた日数を小町がかやの木の実で数えていたという伝説があり、今も随心院のまわりに数株の古木が残っている。

 

はねず踊りは、この随心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、童謡や民謡の性質上、これがいつから歌われ踊られたかはわからない。しかし、今から八十余年も前の随心院の「はねず」が衰え始める頃までは、毎年「はねず」の咲く頃に、里の子たちが家々を訪ねて門内の庭で踊っていたという。

 

昭和四十八年の春に復活しました。

 

子供たちの着物の裾の色が、はねず(唐棣)というのだそう。

 

 

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子供たちの前列が、少将。後列の、裾が緑が小町です。

 

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左と真ん中は「今様」。右は雅楽の奏者。

立ってますが・・演奏するときはもちろん座ってました。

座られたら、まーったく見えなくて・・くすん。

 

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いちひめ雅楽会による奉納。

あとで教えてもらったのですが、舞楽『蘭稜王』というものだそうです。中国のある王様は美男子すぎて兵の士気が上がらないため、戦の際は異形の仮面をかぶって出陣したと言います。その様を表した勇壮な舞。

 

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小野地域芙蓉の会による、「祝言の舞」と「雨の金閣寺

 

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境内で、餅つきをしていました。

12時半になっていたので、小腹もすいて・・w

 

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つきたてのお餅が入ったぜんざいを頂きました。

お餅やわらか~い!