鞍馬山は、約2億6000万年前、海底火山の隆起によってうまれたそうです。
鞍馬山は生きる活力を本尊である「尊天」からいただくための道場、とされています。
「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身を一体としたものです。
先日、10年ぶりくらいに、この山を登ってきました。
前は、鞍馬から貴船へ。今回は貴船から鞍馬へ歩きました。
今回のほうが、道的には楽だったように思えましたw
だいたい1時間半から2時間くらいかかります。
たぶん、前入ったときは、ここまでの山と思っていなかったので余計だったかもしれません。
ハイキングにはちょっと厳しいものですが、途中にいろんなものがあるので、結構楽しめます。
今回こそ背比べ石を見ようと思っていたのに・・また見損ねました
そして、義経堂も・・。
うーん、何しにいったんだか
次はまた10年後かなぁ・・(笑)
【山内の主な史蹟】】※鞍馬駅側から
(撮影:2009.5.31)
< 仁王門(山門)>
甚慶作の仁王尊像を祀っています。俗界から浄域への結界。
<魔王の碑と魔王の滝>
崖の上の丹塗りのお社には魔王尊石像がおまつりしてあります。高さ15メートルあるとか。
<由岐神社>
天慶3年(940年)、鞍馬寺が御所から鎮守社として勧請しました。
矢を入れて背に負うゆぎを祀り、夜の平安を祈ります。
<楓の古木>
< 川上地蔵堂>
この地蔵尊は、牛若丸の守り本尊だったといいます。
<九十九折参道>
清少納言が「枕草紙」の「近うて遠きもの」の中に「くらまの九十九折といふ道」と記したのがこの道です。
<閼伽井護法善神社>
千年ほど昔、修行中の峯延上人を襲った大蛇のうち、雄蛇は法力で倒されて「竹伐の会式」の由来となり、雌蛇は本尊に捧げるお香水を永遠に絶やさぬと誓いここに祀られました。
<本殿金堂>
三尊尊天を奉安。地下は宝殿となっています。
<鐘楼>
梵鐘は「寛文10年(1670)」の銘文をもち、「扶桑鐘銘集」にも紹介される名鐘。
毎年除夜の鐘をつく人が列を作ります。
<霊宝殿(鞍馬山博物館)>
1Fには、蝶や昆虫、キノコ、花などの展示。
2Fには、寺宝展観室、与謝野記念室
3Fには、仏像奉安室があります。
3Fはすごくよかった!畳の部屋に、国宝やら京都市重要文化財などの毘沙門天像がずらり。
それから吉祥天立像もありました。
二人で貸切状態で、本当に近くにあるから、いいの??と思いつつ・・。
これを見るだけでも価値あります!
<冬柏亭>
東京の与謝野邸にあった与謝野晶子の書斎
<与謝野寛・晶子歌碑>
(左)遮那王が背比べ石を山に見て わが心なほ明日を待つかな 寛
(右)何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな 晶子
<奥の院への入口>
<牛若丸息つぎの水>
牛若丸が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通う途中、この清水を汲んでのどの渇きをうるおしたと伝えられています。今は水が止まっており、飲めません。
<屏風坂の地蔵堂>
別名を革堂の地蔵堂ともいいます。
<木の根道>
岩盤が硬く地下に根を張れない杉の根が露出しています。
牛若丸が兵法の稽古をしたところともいわれています。
< 義経公背比石>
奥州に下る牛若丸が名残を惜しんで背丈を比べた石です。
<大杉権現>
専念誓い樹齢を保ち、「護法魔王尊影向の杉」として多くの人々の信仰を集めています。このあたりは大杉苑瞑想道場でもあります。
そこに講師と受講生らしき人がたくさん集まってて、
説明後、大杉を囲っている柵からみんな手を出していました。
気を受けてるのかと思いながら、近くにいって聞き耳を立てながら、
同じことをしてみました。
オオーw(*゜o゜*)w
空気の層が途中から変わるんですよっ。
なんかあったかい!
へぇ、おもしろーい。
この人たちがいなければ、知らずにとおり過ぎてました・・。
<義経堂>
源義経を護法魔王尊の脇侍「遮那王尊」として祀っています。
<僧正ヶ谷不動堂>
過ぎの大樹がそびえたち、森厳の気が満ちるあたり、謡曲の鞍馬天狗が牛若丸と出会った所。牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだ舞台もこのあたりだとか。
堂内には伝教大師が刻んだと伝えられる不動明王が安置されています。
<奥の院魔王殿>
650万年前、菌性より地球の霊王として天降り地上の想像と破壊を司る護法魔王尊が奉安されています。累々と石灰岩の重なる柵内は、日本庭園の源流と言われる磐座(いわくら)です。
<西門>
貴船側から鞍馬山への参拝口