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京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

城南宮

 

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おそらく3年ぶりの城南宮へ行ってきました。

東の石鳥居です。

 

平安遷都の際、都の南の守護神として創建されたといわれています。

祭神国常立尊(くにのとこたちのみこと)

   八千矛神(やちほこのかみ)

   神功皇后(じんぐうこうごう)

 

看板より

「この地に白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬(くらべうま)が行われた。

また離宮は方違えの宿所や熊野詣の精進所となり、方除の進行が高まった。承久3年(1221)、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、鎌倉幕府との間で承久の乱が起きたことは名高い。

江戸時代以来、城南祭では三基の神輿が氏子地域を渡御、「餅祭り」とも称されて大いににぎわう。皇室の崇敬厚く、孝明天皇は攘夷祈願の際に行幸されて吹散(ふきちり)を賜り、慶応4年(1868)正月、城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が轟き、鳥羽伏見の戦いが始まり、明治維新を迎えた。

日・月・星を象った三光の御神紋は、神功皇后の旗印に因んで広大な方除の御神徳を表し、建築・転宅・交通・旅行安全の神として信仰が深い。

神苑「楽水苑」は「源氏物語 花の庭」と称され、四季の風情に富む名園として名高く、春秋に曲水の宴が雅やかに行われる。

 

 

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これが三光の御神紋。

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入ってすぐ右手にあるのが、真幡寸神社(まはたきじんじゃ)

 祭神:真幡寸大神、大神天皇

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そのすぐ隣にあるのが、芹川天満宮

唐渡天満宮とあるのは、道真が宋に渡って禅を務めたという渡唐(ととう)信仰のことからきています。

祭神菅原道真 

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絵馬堂。

 

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三照宮(さんしょうぐう)

祭神天照大御神

 

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 菊水若水(手水舎)

伏見の名水のひとつ。

江戸時代の随筆に、これを飲むと病が治ったという記録があり、

百度を踏んで、水を持ち帰る習慣があったそうです。

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これが境内の絵図。

地図では気づかなかったけど・・

改めて見ると、なんで境内が曲がっているんでしょうね??

最近こういうのが気になります。

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鳥羽離宮平清盛・佐藤義清(西行)の碑。

以下抜粋。

平忠盛・清盛父子や、清盛と同年齢の佐藤義清(西行)は、鳥羽上皇に仕えた北面の武士であり、城南宮に続く馬場殿で行われた城南流鏑馬にもかかわったと思われます。鳥羽上皇は、祖父白河上皇が気づいた鳥羽離宮を拡張し、佐藤義清は、離宮の南殿の庭の菊の花に寄せて、

君が住む 宿の坪をば 菊ぞ飾る

 仙(ひじり)の宮とや 言うべかるらむ

と詠み、上皇の御代を寿きました。(略)

治承3年(1179)、清盛は、後白河法を離宮の北殿に幽閉。死を覚悟したと『平家物語』にあり、「城南之離宮」の段には、北殿の前を通る鳥羽の作り道を行きかうにぎやかな車馬の音と、ひっそりと静まり返った北殿の様子が対照的に書かれています。」

 

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手前が神輿舎。

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 熊野詣出立の地の看板。

白河上皇の熊野御幸

 平安時代白河上皇鳥羽上皇、中宮待賢門院とともに熊野詣をされました。

●鳥羽離宮の精進屋出立

白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇の熊野御幸の際、

鳥羽離宮の御殿と精進屋に充て、7日程の精進(斎戒)を勤め、

祓の儀式を修めて出立されました。

 

ここを出立して、淀川を舟で下って、渡辺津に上陸し、そこから熊野街道を通って、熊野三山へ往復1か月ほどかけて参詣されました。

 

kyotomichi.hatenablog.com

 

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拝殿

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祈祷所。平安時代後期の建築様式。(昭和53年に造営)

この奥に、末社があります。

左手前から時計回りに、

①稲荷社 宇気毛智神(うけもちのかみ)

厳島社 市寸島比売神(いちきしまひめのかみ)

 住吉社 綿津見神(わたつみのかみ)

 兵主社 須佐之男尊(すさのおのみこと)

粟島社 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)

天満宮社 菅原道真(すがわらのみちざね)

 妙見社 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 金刀比羅社 金山毘古神(かなやまびこのかみ)

⑤庚申社 猿田彦神(さるたひこのかみ)

大国主社 大国主命(おおくにぬしのみこと)

⑦春日社 天児屋命(あめのこやねのみこと)

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むすび殿

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こんな角みたいなのは珍しいですね。

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神楽殿。

平安時代の貴族の邸宅の寝殿造りを模したもので、平成8年に建立。

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右:鳥羽伏見の戦いの跡

左:城南宮の説明書き

 

「鳥羽伏見の戦いは、明治維新を決定づける、戊辰戦争の発端となった戦い。慶応3年(1868)12月9日の王政復古の大号令で、幕府は廃され、

前将軍徳川慶喜は二条城から大阪へ退きましたが、新政府側の薩摩藩の好意に憤慨し、慶応4年正月2日、旧幕府兵および会津・桑名両藩の塀からなる大軍が大阪から京へ向かいました。

これに対し、朝廷では、薩摩・長州・土佐など諸藩の兵を鳥羽と伏見に繰り出し、鳥羽では城南宮から鳥羽街道の小枝橋に至る参道に、伏見では御香宮神社付近に陣を構えました。

翌1月3日、都をめざし鳥羽街道を北上する旧幕府軍は、ここ城南宮から南南西500mの地点に達し、入京を阻止する薩摩軍と長時間対峙しました。湯闇が迫り強行突破の構えを見せる大砲が轟き、続いて伏見でも両軍が衝突、激戦となりました。

4日も下鳥羽から伏見にかけて戦闘が続きましたが、仁和寺宮嘉彰親王が錦の御旗を奉じて御所を出陣との報が伝わり、官軍となった新政府軍の士気は大いに高まりました。

5日、錦の御旗は鳥羽街道を南に進み、旧幕軍は淀、八幡へ退却、新政府軍の勝利が決定的となりました。」

以前、新選組関連でこの地を巡ったので、懐かしかったです。

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七草粥もいただいてきました。

こちらは旧暦でされているんです。

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塩味がしっかりとついていて、おいしかったです。

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ずっとこの歌が流れていて・・気になりました。

テッテッテロロ・・って何??(笑)

 

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西鳥居。