京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

2009-01-01から1年間の記事一覧

下鴨神社 蛍火の茶会

(撮影:2009.6.13) 先日、下鴨神社で、蛍火の茶会というのがありました。 これは、20年ほど前から地元の協力で蛍の幼虫を放ったところ、糺の森で蛍火が飛び交うのがみられるようになり、平成3年より、約100年ぶりに蛍火の茶会として再顕することになったそ…

祇園祭 基礎知識

(撮影:2008.7.16) 祇園祭は八坂神社の祭で、大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつに上げられています。 約1100年前、疫病退散を祈願、日本全国の国の数の鉾66本をつくらせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行ったのが始まり…

祇園祭の飾りつけ

京都もいよいよ祇園祭が迫ってきて、にぎやかになってきました。 職場も祇園祭仕様です。 ガラス越しなので、ちょっと見にくいですが・・。 祇園祭の山鉾マップです。 この時期のみ1000円で販売していますが、残り2本! 残念ながら、もう作っていないそうで…

蛍 ~哲学の道周辺~

5月上旬~7月中旬頃、京都でも各地で蛍が見られます。 もう10年くらい見ていないなぁと思って、久しぶりに見たくなったので、 哲学の道に行ってきました。 探し歩いたけど・・いない・・。 だいぶして、ようやく1匹だけ。 でも見れないよりまし?と思って、…

鞍馬山(総本山鞍馬寺)

鞍馬山は、約2億6000万年前、海底火山の隆起によってうまれたそうです。 鞍馬山は生きる活力を本尊である「尊天」からいただくための道場、とされています。 「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身を一体としたものです。 鞍馬天狗…

納涼床・川床

川床は京都の夏の風物詩の一つで、料理店や茶屋が川の上や、屋外で川のよく見える位置に座敷を作り、料理を提供します。 5月ごろから9月ごろまで、鴨川、貴船、高雄、鷹ヶ峯など京都市内各地で、 川床を楽しむことができます。 ちなみに、鴨川では「のうりょ…

あっちむいて、ほいっ!

「あっちむいて、ほいっ!」 ・・・といったわけではありませんが。 鞍馬寺の前の駐車場で、おそらくお留守番であろうワンちゃんたちが、 同じ方向を見ているので、思わず近くへ・・。 「これ以上近づくなよ」 とでもいいたげな、、・・見張りでしょうか??…

貴船神社

住所:〒601-1112 京都市左京区鞍馬貴船町180 http://www.kibune.or.jp/jinja/ (撮影:2009.5.29/中2枚は、2007.7.29) 貴船大神は、関東地方を干ばつから守り、古くから水の神さまとして信仰されてきました。古来より雨乞の社として名高く、畏くも歴代天…

清水寺 地主神社

地主神社は、社伝によれば、創建は日本建国以前の神代とされています。実際、境内の「恋占いの石」は原子物理学者、ボースト博士による科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明しているとか。 主祭神である大国主命は、因幡の白兎を助けた心の優し…

清水寺 その3 ライトアップ

今年3月に行った清水寺JAZZコンサートは、100名の貸切で、 コンサートの後に、一般より早いプレライトアップを見ることができました。 誰もいない仁王門や舞台など・・感動です。 もちろん観光客もいないので、ガラガラ~。 贅沢やわぁ~。 100名といっても…

清水寺 その2

(撮影:2009.3.27) 先心洞。 たぶん・・通常は入れないところだと思いますが・・。 今年3月に、知り合いが清水寺で貸切JAZZコンサートをしまして、 それを見に行った時に、待合&お食事するスペースとして、通されました。 仁王門に入る手前を左奥にいった…

清水寺 その1

(撮影:2009.5.24、右は2008.3.8) 京都府京都市東山区清水 http://www.kiyomizudera.or.jp/ 京都・清水寺の開創は1,200余年前、奈良時代末の778(宝亀9)年。延鎮(えんちん)上人が夢告をうけ音羽の滝を尋ねあてて行叡居士(ぎょうえいこじ)に逢い、霊…

三室戸寺

(撮影:2007.6.17) 三室戸寺(みむろとじ)は明星山と号する修験宗のお寺です。もとは天台宗寺門派(三井寺)に属し、770~781年に光仁天皇の勅願により創建されたと伝えられています。中世以降、西国三十三所巡礼が庶民の間に広がったのに伴い第十番札所とし…

三船祭

三船祭は、昌泰元年(898年)長月21日、宇多上皇が嵐山に御幸の際、大堰川 で御船遊びをしたことが始まりとされています。 その後のたびたびの御船遊びで、詩歌、吟詠、管弦、舞楽など様々な御遊びがあったことにより、昭和3年車折神社では御大典を記念して…

岐阜  世界遺産 白川郷 合掌造り

岐阜の白川郷へ行ってきました。 合掌造りは、茅葺の屋根がてのひらを合わせたような急勾配の山形をした建築をいいます。 白川郷では屋根の両端が本を開いて立てたような形の「切妻合掌づくり」とよばれる様子息で、当地の重く多い積雪に耐え風土に適した構…

平野国臣外数十名終焉跡(六角獄舎跡)・日本近代医学発祥之地

六角通り神泉苑通りを南にいったところにあります。 六角獄舎は、有罪・無罪の判決がまだくだされていない者を収容するところでした。 1864年7月19日の禁門の変で、京都の市内が大火事になり、その翌日この六角獄舎にまで迫りました。通常、火事が起こると、…

伏見 十石舟

伏見は、京都と大阪の間にあったことから、豊臣秀吉が伏見城を築き発展しました。 秀吉の没後、天下を掌握した徳川家康が、商業港湾都市としての整備を行い、 淀川三十石船をはじめ、大小の船が行き交う港町として繁栄しました。 幕府が認めた舟は、なんと74…

京都御所 その3

納涼所 御三間 ここでは、三献の儀というものが再現されていました。 女御入内の儀式の一つで、御常御殿中断の間にて、三献の儀があり、女御親ら酌して天皇に献じ、次に天酌を受けられます。三度飲むことを一献とし、これを三回繰り返すそうです。 左は、御…

京都御所 その2

清涼殿 平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿で、入母屋桧皮葺の寝殿造りです。四方に廂(ひさし)をもち、日常の御殿であるため内部は襖などによる間仕切りが多くなっています。中央を母屋といい、御休息の御帳台が置かれ、手前の厚畳は御…

京都御所 その1

794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中ほどに天皇のお住まいである内裏(皇居)がありました。内裏が焼失した時、天皇は貴族の私邸など京中の殿邸を仮皇居とされました。これを里内裏といいます。平安時代の後期以降、元の内裏は次第に…

京都御苑

京都御苑は、都御所を中心に、 大小200もの宮家や公家たちの屋敷が建ち並ぶ公家町が形成されていました。 明治2年の東京遷都で御所周辺の公家の邸宅が荒廃したので、 1883年(明治16年)に公園として生まれ変わりました。 現在は国民公園として一般公開さ…

稲荷大社還幸祭 in東寺

(撮影:2008.5.3) 稲荷大社が4/20から旅所にきていて、 これから伏見へ帰るという、還幸祭です。 その途中で、東寺の弘法大師にあいさつをしていくのが慣わしだとか。 昔紀州の田辺というところで出会って、 それぞれの道をお互いがんばりましょうという約…

流鏑馬神事

<撮影:2007.5.3> 場所:賀茂御祖神社(下鴨神社) 日時 : 5月3日 ・ 午後1時 京都市の下鴨神社では5月3日賀茂祭(葵祭り)の前儀として、 流鏑馬馬場において流鏑馬が執行されます。 公家の装束(束帯)を着用しての流鏑馬で、他には見られないもの…

三条 分銅屋 足袋

京都市中京区三条通堺町角 TEL 075-221-2389 分銅屋は、創業1864年の江戸時代から続く老舗足袋専門店です。 品質の良さが有名で、分銅屋さんの足袋を愛用している役者や狂言役者が多いそうです。白足袋のほか、京友禅の足袋などもあります。 こんな記事が…

葵祭り

京都三大祭のひとつ。 毎年、5月15日 に行われる、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神の例祭。 古くは賀茂祭、北の祭りなどと呼ばれ、平安時代以来行事として行われてきたもので、数少ない王朝風俗の伝統が残されている祭りでもあります。 江戸時代の1694…

くろ谷 金戒光明寺

(撮影:左2009.4.14 中・右2006.4.8) 京都市左京区黒谷町121 075-771-2204 HPはこちら 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は「黒谷さん」(くろだにさん)という愛称で、京都では慕われています。 法然が比叡山から降りて、はじめてこの黒谷の地に草庵を…

醍醐寺

(撮影:2009.4.12) 伏見区醍醐東大路町22 TEL:075-571-0002 HP:http://www.daigoji.or.jp/ 真言宗醍醐派の総本山。貞観16年(874年)弘法大師の孫弟子・聖宝が醍醐山頂に庵を結び准胝(じゅんてい)如意輪両観音像を彫刻・安置したのが始まり(上醍醐)。延…

京都府庁旧本館

(撮影:2009.4.5) 京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町 詳細はこちら。 京都府の技師を務めた松室重光の設計により、明治37年(1904年)竣工されました。かつては京都府庁舎本館として使用され、東寺他の庁舎が手本にするほどの名建築だったとか。創建当…

烏丸通りの近代建築

烏丸通りにある、近代建築 烏丸通りにも、たくさんの近代建築が残っています。 三条通りから四条通に向けて、順にご紹介 ・旧京都中央電話局(現新風館) 建築家 / 逓信省営繕課(吉田鉄郎) 建築年度 / 大正15年(1926) 大正十五年、京都三条烏丸に通信時…

茶人 廣野了頓邸跡、将軍御成門跡

新町通りと室町通りの間に、衣棚通りというのがあります。 三条衣棚通りを下がったところに、廣野了頓邸址の碑があります。 案内板によると、 「江戸時代初期の地誌である「雍州府志」(ようしゅうふし)によると、足利家代々の従臣である廣野家が、将軍義晴…